中学受験対策に!縄文時代の重要ポイントまとめを解説します|大学受験エリート

中学受験対策に!縄文時代の重要ポイントまとめを解説します

 

 

中学受験をする上では、縄文時代の重要ポイントを押さえておくことも大切です。

 

ここでは、縄文時代の概要や、道具、暮らし、住居、信仰、そして縄文時代の出来事を現代に伝える重要な2つの遺跡について、詳しくまとめた内容をご紹介します。

 

縄文時代とは?

 

「縄文時代」とは、紀元前13,000年頃から約1万年の間続いた時代のことです。

縄文時代の前の「旧石器時代」では、人類は石を打ち欠いたり剥いだりして作る「打製石器」や動物の骨や角で作る「骨角器」を使っていました。

 

しかし縄文時代に入り「土器」が発明されることで、人々の生活は一変しました。

縄文時代は、使われていた土器の特徴などから、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6つの時代に分けられます。

 

氷河期があけたばかりの縄文時代は、温度差の激しい期間が続く時代でもありましたが、土器をはじめとする道具一式を発明することで人々は厳しい時代を生き抜くことができました。

そして貝塚が残されるようになるころには、現在と同じくらいの気温になっていたと考えられています。

 

縄文時代の道具や暮らし

 

縄文時代を理解する上で押さえておきたいポイントは以下の通りです。

・縄文土器
・縄文土器と暮らしの関係
・縄文時代の人々の暮らし
・縄文時代の住居 ・縄文時代の信仰

 

縄文土器

 

縄文時代の名前の由来にもなったのが「縄文土器」です。

 

縄文土器が発明されたことで、人々の生活は大きく変化しました。 縄文土器の特徴として、次の3つが挙げられます。

・縄目の模様
・黒褐色をしている
・厚くて壊れやすい

 

縄文土器の「縄文」とは、土器の表面につけられた縄目模様のことを指します。

これは、縄を転がしてつけられた模様で、装飾と考えられています。

 

縄文時代はまだ強い火力を出す技術がなく、約500~800度の低温で土器を焼いていたため、黒褐色をしています。

また、同様の理由で壊れやすく、すぐに割れないように厚く作られているのも特徴の一つです。

 

縄文土器と暮らしの関係

 

縄文時代はまだ稲作が伝わっていなかったため、人々は狩猟や採集で食物を得ていました。

縄文土器が発明されるまでは食物を保存することができず、その日にとれたものはその日の内に食べ尽くすしかありませんでした。

 

しかし、縄文土器が発明されることで食物を安全に保存することができるようになり、収穫がないときでも飢えをしのげるようになりました。

 

それによって人々の生活は大きく変わり、寿命も延びたと考えられています。

また、土器を火にかけることで調理が可能になり、食べられるものが増えたことも人々の暮らしを大きく向上さえる一因となりました。

 

縄文時代の人々の暮らし

 

縄文時代の人々は小さな集団を形成し、仲間と助け合いながら共同生活を送っていました。

生活の中心は狩猟と採集で、石槍や石矢じりなどを使って獣や鳥をとったり、骨角器を釣り針や銛にして海で漁をしたりしていました。

 

また、石を磨いて作る「磨製石器」の登場により、暮らしが便利になっていったとされています。

 

縄文時代の住居

 

縄文時代の住居は「竪穴式住居」と呼ばれています。

竪穴式住居とは、地面を円形や四角形に掘り下げて丸太の柱を立て、草や木の葉の屋根をかぶせた家のことです。

 

縄文時代から奈良時代にかけて、人々の住まいはこの竪穴式住居が中心とされていました。

竪穴式住居は狩猟や漁がしやすいように水辺の小高い場所に建てられており、周囲に食べ物がなくなると新しい場所に移動するのが、この時代の生活様式でした。

 

縄文時代の信仰

 

縄文時代の信仰で象徴的なのが「土偶」の存在です。

土偶は土で出来た20cmほどの人形で、その多くは女性の姿をしていました。

 

人々は魔除けや豊作祈願、安産祈願などに土偶を用いていたと考えられています。

また、死んだ人を葬る際は、手足を折り曲げて埋葬する「屈葬」を行っていました。

これは、死者が生き返ることを恐れたためだと言われています。

 

縄文時代の遺跡

 

縄文時代の代表的な遺跡には、

・大森貝塚
・三内丸山遺跡

の2つがあります。

 

大森貝塚

 

「大森貝塚」は1877年にアメリカ人の動物学者エドワード・シルベスター・モースが発見した遺跡です。

場所は、現在の東京都品川区・大田区にあります。

 

貝塚とは人々が食べ物のカスやゴミなどを捨てていた場所の跡地で、そこに遺された貝殻などを調査することで、当時の人々の食生活や食べていたものなどが分かります。

 

また、貝塚は海岸線の近くに作られるものであったため、縄文時代の海岸線を知る上でも貴重な資料となります。

 

三内丸山遺跡

 

三内丸山遺跡」は、青森県青森市にある竪穴式住所の跡地です。

この遺跡が発見されるまで、縄文時代の人々は移住生活を中心に暮らしていたと考えられていました。

 

しかし、住居跡の発見によって、一定期間は定住生活を送っていたことが分かったのです。

 

また、北海道や新潟など離れた地域に暮らす集団との交流があったことも、三内丸山遺跡の調査によって明らかになりました。

当時の文化・文明を知る上でも、三内丸山遺跡は価値の高い遺跡と言えるのです。

 

まとめ

 

縄文時代に限らず、歴史は要所要所のポイントを押さえつつ理解するのが、効率的に勉強を進めるコツです。

中学受験の縄文時代対策では、上記にご紹介した内容を参考にしてみてください。

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