中学受験でよく出題される安土桃山時代についてのまとめ|大学受験エリート

中学受験でよく出題される安土桃山時代についてのまとめ

 

中学受験において重要になってくる科目の一つに歴史があります。

歴史は難しい言葉が多く出てくるのに加えて、暗記する項目も多いので、苦手意識を持っている方も少なくないのではないでしょうか。

 

しかし、歴史はストーリーとして理解するととても面白くなってくるものです。

そこで今回は中学受験で出題される安土桃山時代について以下の内容でご紹介していきます。

 

「安土桃山時代とは」

「織田信長が関係する事件や政治について」

「豊臣秀吉が関係する事件や政治について」

「安土桃山時代やその時代に活躍した織田信長、豊臣秀吉について」

 

名前は聞いたことがあるけど、どんなことをした人物か分からないと言う方も多いでしょう。

 

本記事では安土桃山時代に起こった歴史についてまとめているので、受験生のお子さんを持つ親御さんはぜひ本記事を参考にして、お子さんに教えてあげてくださいね!

 

安土桃山時代とは

 

安土桃山時代は織田信長と豊臣秀吉が中央政権を掌握していた時代です。

 

その名前の由来は、織田信長が築城した安土城(近江八幡市安土町)、豊臣秀吉が築城した伏見城(京都市伏見区桃山町)の二つのお城から取り、安土桃山時代と呼ばれています。

 

そのほかにも、この時代に活躍した織田信長と豊臣秀吉の名前を取って織豊(しょくほう)時代と呼ばれることもあります。

 

安土桃山時代は1573年の室町幕府の終了と共に始まり、江戸幕府の始まりと共に終了しました。

安土桃山時代を簡単にまとめると、織田信長と豊臣秀吉が力を奮っていた時代と思っておくと良いでしょう。

 

織田信長について

 

安土桃山時代を語る上で欠かせないのが織田信長の存在です。

織田信長は戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した戦国大名です。

 

戦国の三英傑の一人でもあります。

続いての項目では、中学受験で抑えておきたい織田信長の功績や半生について見ていきましょう。

 

楽市・楽座

 

織田信長といえば今川義元を倒した「桶狭間の戦い」や武田勝頼を破った「長篠の戦い」 が有名でしょう。

 

しかし、織田信長は楽市・楽座(らくいち・らくざ)に代表されるように、政治力でもその存在感を発揮しました。

 

楽市・楽座とは座を廃止し、自由な商売ができるようにした政策のことです。

同時に関所を廃止することで商人の移動の制限も取られました。

 

このことにより町は賑わい、商工業が発展したと言われています。

天下統一には武力のみならず、経済の助けも必要だと考えていた信長ならではの政策と言えますね。

 

鉄砲伝来

 

安土桃山時代に起こった大きな転機の一つとして挙げられるのが、日本への鉄砲の伝来です。

1543年、鹿児島の種子島に漂着した船に乗っていたポルトガル人から鉄砲が初めて日本へと伝えられました。

 

このときに伝わった鉄砲は「火縄銃」です。

このことがきっかけで、鉄砲は日本中へと広がり、日本の戦が変化していくこととなります。

 

本能寺の変

 

天下統一へ向けて着々と勢力を伸ばしていた織田信長でしたが、1582年京都の本能寺にて、家臣である明智光秀の裏切り行為により自害することとなりました。

 

これを本能寺の変といい、この事件を最期に織田信長は47年の人生に幕を下ろすことになり、天下統一への夢も途絶えてしまいました。

 

豊臣秀吉について

 

織田信長と同じように豊臣秀吉もまた安土桃山時代を語る上で欠かせない人物です。

豊臣秀吉は織田信長と同じく、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した戦国大名です。

 

天下人でもあり三英傑の一人です。

続いては、中学受験で抑えておきたい豊臣秀吉の功績や半生について見ていきましょう。

 

天下統一

 

1582年の本能寺の変にて、織田信長の天下統一の夢は潰えました。

しかし、そんな織田信長の仇を討ったのが、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)でした。

 

秀吉は織田信長に使える家臣であり、本能寺の変の知らせを受けた後に、すぐさま京都へと向かい、明智光秀を打倒しました。

 

同年、清洲城で織田信長の後継者等を決める「清洲会議」が行われ、秀吉は織田信長の後継者へと選出されました。

 

しかし、この際反対意見を述べていた柴田勝家らとの間に大きな溝を作ってしまうこととなります。

しかし、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで因縁であった柴田勝家を破り、秀吉は大阪に大阪城を築城しました。

 

1585年には天皇を補助しながら政治を行う、「関白」という職につき、名も豊臣秀吉と改めることとなりました。

その後太政大臣にまで上り詰め、戦国の世で着々とその地位を築いていくこととなります。

 

まさしく豊臣秀吉は名実ともに天下人としての地位を築いていきます。

そして、1590年、小田原の北条氏を滅ぼしたことにより、念願であった天下統一を成しとげることとなるのです。

 

太閤検地

 

豊臣秀吉が行った政治の中でも代表されるのが太閤検地(たいこうけんち)です。

田畑の調査をして、年貢を納める責任者を決定することを「検地」と言います。

 

太閤検地とはその検地を大名が行い、誰が年貢を負担するのかを決めるというものです。

こうすることで、正確な情報が得られ、合理的な年貢の徴収を行うことが可能となりました。

 

太閤検地が行われるまでは、所有者からの自己申告であったため、正確な情報を得ることが難しかったのです。

この際、地域でバラバラだった測量単位の統一を行ったのも豊臣秀吉の功績の一つです。

 

刀狩令

 

1588年豊臣秀吉は農民や僧侶から刀などの武器を取り上げる刀狩りを行いました。

このことによって、一揆を未然に防ぎ、農民を農業に専念させることになりました。

 

刀狩令により、武士と農民の身分がはっきりと区別される兵農分離が完成され、武士が農民を支配する社会が出来上がっていったのです。

この刀狩令は兵力を使わずに各地の治安を維持する効果があり、天下統一へ向けての助けとなりました。

 

文禄・慶長の役

 

文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)とは豊臣秀吉によって2度に渡り行われた、朝鮮半島への侵攻です。

1590年に天下統一を果たし、天下人としての地位を築き上げた秀吉は日本に続いて海外までも支配しようと考えていました。

 

まずは現在の中華人民共和国である明(みん)を手に入れるため、朝鮮に服属を求めますが、朝鮮はそれを拒否しました。

これを受け秀吉は朝鮮への侵攻を開始し、「文禄の役」と呼ばれる戦争が始まったのです。

 

しかし、侵攻はそううまくいかず、朝鮮の反撃に合い、一時休戦状態となります。

 

その後、1597年に朝鮮に約14万の軍を送り込み2度目の侵攻(慶長の役)を開始しますが、1598年の秀吉の死をきっかけに朝鮮への侵攻は失敗へと終わるのでした。

 

安土桃山時代のまとめ

 

今回は中学受験でよく出題される、安土桃山時代について紹介してきました。

最後に本記事の内容をまとめてみましょう。

 

「安土桃山時代は織田信長と豊臣秀吉が中央政権を掌握していた時代で織豊時代とも呼ばれる」

「織田信長は楽市・楽座など、戦だけでなく政治でもその手腕を発揮した」

「豊臣秀吉は天下統一後、太閤検地や刀狩令など、戦国の世を率先して変えていった」

安土桃山時代を語る上で織田信長と豊臣秀吉の存在は切り離せないものでしょう。

 

名前は聞いたことがあるけど、実際にどういうことをしたのか知らない方も多かったかと思います。

安土桃山時代は中学受験でもよく出題される重要な時代なので、受験を控えているお子さんがいる家庭はぜひ、本記事の内容を参考にして受験に役立ててくださいね!

 

終わりに

 

中学受験で必ず出題されるのが、歴史の安土桃山時代です。

 

この時代は本能寺の変や豊臣秀吉の天下統一など、日本の歴史上で重要な事件や出来事が詰まっています。

本記事では中学受験でよく出題される安土桃山時代について分かりやすくまとめています。

 

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